じょう‐しき〔ジヤウ‐〕【常識】
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」
◆common senseの訳語として明治時代から普及。
日本人の使う「常識がない」という言い方に引っ掛かりを覚えます。
そもそも常識とはなに?
「常識」 = common sense
common sense は獲得すべき、養うべきものであり、
結果「common sense がある」とは言えても、
「common sense がない」という言い方はおかしいのではないでしょうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Common_sense
「常識」を所与のものとみなし、
かなりな上から目線。
しかも自分のセンスではなく、
世間一般という、誰とかどことかいう原因を明言せずに、
一方的に相手を貶める。
自分の力で勝負しないの?
「常識がない人」と
「COMMON SENSEを持つ人」には、
かなりの距離がある気がします。
それをいち早く取り入れたのが蘇我氏。
新技術の力を持って統一(覇権)に乗り出す。
時の天皇は自身の力を確固としたいがために、仏教を認めたがる。
当然ながら拒否反応を示す勢力もあるわけで(物部氏、中臣氏)、やがて抗争になる。
新技術を持った蘇我氏が物部氏を圧倒するのも無理ないことかと。
蘇我氏の覇権が確立され、独裁となる。
残存勢力がレジスタンス化し、政権の転覆を狙う。
力を持った人間を誘い(中大兄皇子)、クーデターを起こす(乙巳の変)。
クーデターは成功するものの、トップが死んだだけで、勢力としては残される。
そのため中大兄皇子はすぐに王座に就くことができない。
仏教派(蘇我氏)と、廃仏派(中大兄皇子・中臣鎌足)の睨みあう構図がしばらく続く。
中大兄皇子は自らの力を誇示する必要があり、
白村江という外国に出かけ、大戦争を敢行するも、大惨敗。
逃げ戻るが、当然のことながら威信の低下、身が危うくなる。
大津に遷都。
即位し王座に就く。
(古神道側の勝利)
天智天皇が崩御しその力が衰えると、天武天皇が天智王朝を打倒。
蘇我氏の残存力を借りたのではないかと思われます。
(蘇我氏の影響が強いと思われる)飛鳥の地に京を移す。
(崇仏派の勝利)
古事記は、天武天皇が王権を取るに足る正当な理由があることを記述。
ただ天智天皇の影響力は大きく、古神道側の不満を抑えるため、
再度日本書紀にて「仏教」「神道」どちらにも配慮した記述をしている。
史実を摘まみながら、仮説を立ててみました。
以上の観点で「古事記」「日本書紀」を眺めると何か分かるでしょうか?
38 天智天皇 661年7月24日- 671年12月3日
39 弘文天皇 671年12月5日- 672年7月23日
40 天武天皇 673年2月27日- 686年9月9日
41 持統天皇 686年9月9日- 697年8月1日 女帝。
42 文武天皇 697年8月1日- 707年6月15日
43 元明天皇 707年7月17日- 715年9月2日 女帝。
44 元正天皇 715年9月2日- 724年2月4日 女帝。
http://ja.wikipedia.org/wiki/古事記
古事記
古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。
概要
成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。
『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であり正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ
と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀
日本書紀
日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書である。日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人(とねり)親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。全30巻、系図1巻。系図は失われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/舎人親王
舎人親王
舎人親王(とねりしんのう、天武天皇4年1月5日(676年1月28日) - 天平7年11月14日(735年12月6日))は天武天皇皇子。諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)。淳仁天皇の父である。奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力として権勢をふるった。日本書紀の編集も総裁した。舎人皇子(とねりのみこ)とも言う。
歴史の教科書を読んだ時にも思いましたが、
これだけ近い年月の間に日本史を記述した書物が二つも書かれたのでしょうか?
何か理由があったのでしょうか。
★ちょっと仮説
古事記は天武天皇の正統性を記述するため、
そして日本書紀はやや天智天皇に配慮した書き物になっているのではないか、
そんな仮説を立ててみます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/神道
概要
神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教である。日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[1][2]。
なお、神道には明確な教義や教典がなく[3][4]、『古事記』、『日本書紀』、『古語拾遺』、『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[3]。他宗教と比べて現世主義的であり、性善説的であり、まつられるもの(神)とまつるもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられる。
神道と仏教の違いについては、神道は神話に登場する神々のように地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂の救済、国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[1]。
由来と教義
「神道」という言葉は中国の『易経』や『晋書』の中にみえるが[9]、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。
日本における「神道」という言葉の初見は『日本書紀』の用明天皇の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)である。このように、外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった[10][11]。
日本の古来より伝わってきた信仰を「神道」といいますが、
言葉が定まる(体系化される)のは「日本書紀」のころということです。
カルビー、米ペプシコからの出資発表 「上場視野に脱創業家」
菓子大手のカルビーは1日、米飲料大手のペプシコとの資本・業務提携や、経営の監督と執行を明確に区別する米国型の企業統治への移行について記者会見した。松本晃会長兼最高経営責任者(CEO)は「上場も視野に入れ、脱創業家の経営を進める」と述べた。国内市場の縮小が見込まれるなか、海外でのペプシコとの協力を模索する。
カルビーは7人の取締役のうち5人を社外取締役とする人事を実施。月内にもペプシコを引受先とする第三者割当増資を実施し20%の出資を受け入れ、ペプシコも傘下の菓子メーカーの全株式をカルビーに売却する。
会見で松本会長は、米国型の企業統治への移行は自身が決断したことを明らかにした。松本氏はジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人社長を務めた外部の人材で、「経営の監督と執行の分離は会社として当たり前の姿」と話した。価格政策などの権限を執行役員に大幅に委譲、経営の効率化を急ぐ。上場も検討し1年以内に結論を出す。(01:25)
カルビーさんの不思議な動きです。
国内市場は、
・消費者の節約志向
・健康志向
・PB商品による競争激化
・少子高齢化による客離れ
と減退要因が目白押しです。
ただカルビーが世界に出て行って受け入れられるかは未知数。
というより受け入れられないでしょう。
味も未知数ですし、何より価格で海外メーカーに勝てるとは思えません。
国内での生き残りを目指した方が良い気がしますけど。
上場もしていない企業が、食品分野で海外を目指す必要はないかと。
大変な道を選択してしまったのではないかと思います。

