「義」という言葉を大事にしていきたい、エネルギー・農業に興味を持つ、ERPシステム・エンジニアのブログです。勉強の種になる話題を提供していきます。
え〜、石田三成の凄さを語ろうかと思っていましたが、

今の僕の文筆能力では、

難しいことに気がつきました。




ちょっと知識を拝借いたします。

(出来事をピックアップします)

http://kakutei.cside.com/photo/bushou/mitunari.htm


1560年(永禄3年)三成誕生


1583年(天正11年)賤ヶ岳の合戦

水口4万石の城主となり、島左近を召し抱える。

【島左近】

近江に隠遁していた。
天下に名を馳せた左近のもとには、様々な仕官の話があったようだが、
なかなか腰を上げようとはしなかった。
やがて、その頃、近江に赴任してきた石田三成が左近を訪ねた。
初めは断った左近であったが、
三成は、左近に、家臣としてではなく父、対等な立場でいて欲しいと
頭を下げて仕官を頼んだ。知略、武勇に劣る三成にとって、
戦闘のプロ、左近は喉から手が出るほど欲しい男であった。
そして、秀吉から拝領した知行4万石の書状を破り、半分を左近に手渡した。
左近は感服し、それ以後三成と運命を共にすることを誓う。

直江兼続に書を送り、秀吉・上杉の同盟を成功させる。


1590年(天正18年)

近江佐和山19万石の城主となる。(異説あり)

三成は大規模な改修工事を行い、

山頂に五層(三層説あり)の天守が高くそびえたつほどの城を築いた。





現在の佐和山

The_Mt_Sawa_is_looked_at_from_Hikone_Castle_Shiga,JAPAN




三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と佐和山の城

自分の弱点を知り、

それを埋めることに成功した

石田三成。

その志は、豊臣秀吉から引き継いだものでしょう。


豊臣家No2として何とか家を盛りたてたい。

その一念が、島左近の心を揺り動かしたんですね。




人材不足のベンチャー企業の社長が、

(国を守る)という一念で、天才といわれるエンジニアの心を揺り動かし、

年商の半分の金額で雇う。


・・・何だか無理があるたとえ話ですが。

そんな感じでしょうか。
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